『移植医療』の歴史を語ろう【その2】
こんにちは、ちびパパナースマンです。
さっそくですが、この記事の信頼性を担保するものを簡単に下記に示します。
- 看護師歴:15年
- 認定レシピエント移植コーディネーター歴:5年以上(専従)
こんな感じで毎日精進していますので、それなりに信頼性はあるかなぁと思います。
今回は『移植医療』の歴史を語ろう【その2】です
なぜ移植医療の歴史について語るのか
・温故知新。
・これからも、移植医療についてたくさんの記事を書いていく者としては、やっぱりできる限り早期に歴史について語っておかないと先へ進めないなぁ〜と思っています。
・ていうか、先に進んでいったとしても歴史が語られていなければ、それはなんだか薄っぺらい情報に繋がるとも思ったからです。
・それに、移植医療従事者でも目の前に必死で、じっくり歴史に関して勉強する人は少ないと思います(これはアカン)。
・僕たちでもそうなのに、日常で移植医療と関わることのない方々に向かって、『臓器提供意思表示カード』の普及ばかり伝えてるような印象が強いのはアカンと思うからです。
・もちろん、「あんまり興味もないし『移植医療の歴史』に関する書物なんて読む気ないわ〜〜」ってのは当然です。
・ですので、需要が少ないことは承知のうえです!( ˆoˆ )/
・だけど、いつかどこかで『移植医療』の歴史をパッと知りたいと考えた時に(そんな時あるのか?とか言わない言わない...笑)、簡単に書かれた資料ってあまりないんですよねぇ〜。
・だったら僕がってことで、ここに超簡単に記そうと思いましたm(_ _)m
(今後、追加修正していく可能性の高い記事になると思います。)
・それから歴史においてはですねぇ、やや表現がきつい部分もありますので、そういったところは歴史を歪ませない範囲で、優しい表現を用いながらお伝えしていこうと思います。
2回目は、
世界保健機構(WHO)と移植医療倫理についてです
WHOと移植医療倫理
・1991年のWHOガイドラインにより、世界的に臓器移植が法制化され、倫理規定としては、"お亡くなりになられた方からの移植">"生体間移植"の方向性が明確化されました。
・しかし米国におけるPaired Organ(いわゆるスワッピング色スワッピング移植)が、生体間腎移植の半数を超えるまでになり、さらに欧州でも採用されることとなり、2007年には公的にPaired Organによる生体肝移植が開始されました。
・皮肉なことに、HLAをマッチさせるシステム上、お亡くなりになられた方からの腎移植や家族間での生体移植より平均でも良い成績であるとのレジストリーも発表され、 WHOでの方向性も影が薄くなっていきました。
・しかし、健康な人にメスを入れ、1つの腎臓を摘出することのリスクも考慮されなければならず、本来はお亡くなりになられた方からの腎移植の増加に向けてのさらなる努力を推し進めなければならないのは事実であり、2007年3月にジュネーブで開催された、Global Concern On Transplantation会議(WHO主催)でも、お亡くなりになられた方からの移植の推進が明文化されました。
・この頃フィリピンでの新たな動きとして、政府公認の財団が、フィリピン人の腎臓を買い上げて、公的に移植する方法を検討しており、このことに関してWHO,ならびに国際移植学会(TTS)も公式に非難声明をだしました。
・1991年のWHOガイドラインでは、生体移植は、Generically related(遺伝的血縁関係)としていましたが、発行間もなく、夫婦間での移植も認めるべきという意見が多く出されました。
・1993年には、Emotionally related(精神的縁者)で実施すべき、としたことから非血縁者間の移植が広がり、欧米のPaired organや、果ては、国が認める臓器の売り買いへと発展を遂げてしまいました(涙)。
・また、WHOマニラ会議(2005年11月)(WHO,WPRO)において、中国厚生省の黄副部長が移植関連では初めて出席し議長を務めましたがその際に、中国では死刑囚ドナーを臓器移植に用いていることを公式に認め、会議でも非難の声があがりました(涙)。
・翌年の2006年には、臓器移植法を整備し、死刑囚からのインフォームドコンセントを得たうえでの臓器提供を合法化するとともに、外国人への移植を禁止することとなりました。
・また、移植の実施できる医療機関を認定施設とし、さらに移植医も認定を受けた者のみ実施できるとされていましたが、新法ではその認定が地方自治体の権限とされたことにより、国際的な不透明感はより一層増す結果となってしまいました(涙)。
・ガイドライン改訂作業に積極的に公式メンバーとして参加した国際移植学会(TTS)では、各国の状況把握や、これらの国々の移植学会との連携で積極的な働きかけを行うことで、公正な移植医療の推進を行ってきました。
・TTSでも、アムステルダム会議、バンクーバー会議を経て、その集大成として、2008年4月30日〜5月2日にかけて、トルコのイスタンブールで、”International Summit on Organ Tourism”を開催しました。世界78ヶ国、154名のメンバーが参加し、3日間の協議の末に『イスタンブール宣言』を取りまとめるに至りました。
★『イスタンブール宣言』(よかったら少し調べてみてください m(_ _)m )
・また、WHOでは2006年より、加盟国の移植医療情報や体制、法制化に至るデータベースを、スペインのONTと共同で作り上げました。(下記リンク先参照下さい)
・わが国でも、日本移植学会国際関連委員会が厚生労働省と協力して、全ての移植医療に係るデータをWHOに供給する体制をとっています。
・しかし、近年の細胞・組織の国際的なシェアリングや、再生医療や細胞治療といったこれまでの「移植医療」とは異なった概念の移植が増加する中、WHOとしては、あくまでご提供された細胞・組織・臓器をヒトに移植するという共通概念上、その安全性をどのように担保するべきかを、WHO移植課(2004年設置)が主体となって、世界各地で会議を開催し検討を重ねてきました。
・その結果、米国では米国組織バンク協会(AATB)、アメリカ・アイバンク協会(EBAA)、アメリカ血液バンク協会(AABB)が、欧州ではEU、並びにECが積極的に参加し、全ての細胞・組織を国際コード化する方向で検討を始めました。
・日本からは、臓器の売り買いなどの出所不明な臓器を無くすという倫理上の理由から、臓器にもWHO国際コードを普及させるべきであるとの提案を行い、EC、TTSがこれに賛同する動きを見せました。
・2009年には、WHO国際シェアーコードの具体的なツールとして、ISO,若しくは、ISBT128の運用に向けての国際的な会議が開催され、このような動きが、単に安全性、トレーサビリティーといった実務的な機能により、リアルタイムでの情報収集も可能となり、ドナー数増加に向けた各国の取り組みも数値化されるため、一層の自助努力が必要となりました。
終わりに
2005年にWHOがジュネーブでESOTとの共同主催で開催した「世界移植デー」(World day for Organ Donation and Transplantation)を共同開催しました。
・2007年には第3回をクウェートで開催、そして、2008年には日本移植学会との共同開催で、第4回世界移植デーが大阪で開催されました。法改正も含めて日本の移植医療が大きく様変わりをする時期に、WHOの国際大会が日本で開催されたということは、その意義は極めて大きいものであります。
・この大会では、WHOや海外からの演者も、日本において脳死問題が臓器提供と並列で議論されている点についての疑問が投げかけられました。臨床的に脳死を人の死として国民が認知し、移植医療を推進するためには、医学としての議論が不可欠であり、海外の経験などからも人の死を認知した後にのみ臓器提供が行われることを、医学から徹底して国民の理解を得るべきであるという指摘がありました。
【超重要!】
日本では『イスタンブール宣言』を受けて、「臓器移植法の改正が必要ダァーーー!!」って議論が高まって、
平成21年(2009)に15歳未満の臓器提供を認める改正法が成立、平成22年(2010)7月に施行されました。
私見(まとめ)
以上、今回はWHOと移植医療倫理の観点から、サクサクっと歴史をまとめました〜😊
▶︎本来、私見を混ぜるつもりはなかったんですが、2点だけ語っちゃいま〜す (笑)
- 「臨床的に脳死を人の死として国民が認知し、移植医療を推進するためには、医学としての議論が不可欠であり、海外の経験などからも人の死を認知した後にのみ臓器提供が行われることを、医学から徹底して国民の理解を得るべきであるという指摘がありました。」とWHOや海外演者たちから投げかけられた件に関しては、もちろん医学的見地から方向性を固める必要があることは理解できますが、全てが一方向での体制になってしまうのは危険だと考えます。国民一人ひとりに、臓器提供に関する『4つの権利』があるように、我々移植医療従事者にも、evidenceをもった多方向の考え方があり、その上で議論を進めていくことが大切であると考えます。
- 臓器移植法が改正され、2010年7月17日に施行されてはいますが、わが国の抱える移植医療の問題は山積みであり、今後並々の改革が必要であることは、移植医療従事者、とりわけ移植コーディネーターであれば身に染みて感じていることは容易に想像できます。この解決策や改善策を考える際には、国際的な見地から我が国の将来像を模索し続けることも必要ではないかと考えています。
★みなさんなら、どのようにお考えになるでしょうか?・・・・・
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